1993年入社 第一営業部 杉山元久
出身大学:熊本大学大学院 建築学専攻
勤続年数:28年
勤務地:本社 所属:第一営業部
<キャリアステップ>
大学院時代、隣の研究室に、日立建設設計に勤務していた経験のある教授がいらっしゃたことがキッカケでした。当時の地方大学院の就職のほとんどは、教授推薦で企業に入ることが多かったと思います。
横浜の設計部に5年在籍し、市営住宅、日立健保の保養所、企業の寮、学校の改修等が多かったと記憶しています。その後、
本社の企画開発部に転属となりました。全国のお客差に向けた企画提案を行う部署で、当時から当社もグループ外へのアクションを活発化していた時期でした。公共事業を中心とした多くの興味深い仕事を経験することができました。
配属先の上司が、海外経験も豊富でエンジニアリング出身といったこともあり、新しい提案の在り方を真剣にメンバー全員で考え、模索した時代でした。国の補助金を使って新エネルギービジョンを作成するといったコンサルティング的な仕事やPFIのような事業全体をマネージメントする業務もありました。
そんな中、最初に受注したPFI事業は、福岡の温浴施設にあるプールに、海水を活用したユニークなものでした。商社、大手建設会社、プール運営会社、銀行、リース会社等、大規模な事業PJでした。その後、PFIの可能性を日立に提案し、都市Gに出向したことで更に大きなPFIプロジェクトに参加することが出来ました。
筑波大学の実験動物施設では、高度な感染予防基準を満たすバイオハザードに対応した施設建設プロジェクトを経験したり、
海上自衛隊 呉資料館 てつのくじら館では、本物の潜水艦を展示する資料館を創るプロジェクトを経験しました。潜水艦内部を展示するため、建築基準法に合わせ改造を施したり、巨大貨物を移送する技術を持った日立物流の協力で、IHIドックで修復した潜水艦を水路で輸送し、サルベージ船で引き揚げてドーリー(タイヤのついた巨大な台車)に乗せて移送。全てが前例が無く規模の大きなプロジェクトでした。
常に時代に合った設計事務所で在りたいと考えています。横浜の設計部に所属していた新人時代から、設計の仕事は、図面一枚で、いくらといったものではないと感じていました。発想やソフトに価値を上げて行くことが必要だと思っていたからです。お客様は、建物(モノ)を欲しいのではなく、その先に施設を使ってやりたい事業や生活(コト)があると思います。デザインシンキングが主流となった現在「モノからコトへ」と表現されていることこそ、本来、設計のクリエイター集団である設計事務所が、追い求める概念なのではないかと思います。
現在は、営業という立場ですが、ユニークなものを創り上げる欲求は更に増しているかもしれません。日立グループだけでなく、高い技術やユニークな発想を持った有識者や企業とのコラボレーションで優れたものを創り上げたいと思っています。
求めるのは、チャレンジする気持ちを持った人です。自分の考えを持って創造的な仕事に興味のある、そんな人に仲間になってほしいですね。
「やらまいか精神」浜松出身の杉山さんに、未だ大きなチャレンジする魂の光を感じたインタビューでした。